こんにちは証写真村上です。
私がカメラマンになるまで、そして辞めるまでの
ことをお伝えしたいと思います。
私がここで自分の夢を叶えるまでの道のりを書くことで
みなさまに何か気づきを与えることが出来たり、
素直になぜカメラマン?と思われる方にとって
村上はそんなことがあったのか!と知っていただけたらなと思い
記事にまとめたいと思います。
私は文章を書くことに慣れていないので(日本語が得意でない)、
至らない点はあるかとは思いますが、最後までよろしくお願いします。
私が【カメラマン】というものに憧れた話をするにはまず、
専門学校の頃の私を語ることから始めます。
私が通っていた熊本電子ビジネス専門学校で
学校所有の一眼レフデジカメを使い、
学校の行事を撮っていた時に担任のU先生に『似合ってるね~』
と言われたことが何か引っかかっていました。
そして同級生で、カメラマンの専門学校に進学?する友達が居ました。
専門学校卒業後、専門学校に行く。これが正直私にはよくわかりませんでした。
ですがいずれ私もその気持ちがよく分かるようになります。
それから月日は流れ株式会社ワークに入社し、欲しかったバイクを購入。
バイクで観光地に行った際見かけたおじ様が、ハーレーに一眼レフという最強装備に憧れ私も一眼レフを衝動買い。
その辺の話はコチラから。趣味のミチとは
カメラを始め友人の結婚式や会社での集合写真を頼まれたりし、
カメラマンという職業に興味を持ち本格的に行動に移します。
そしてまず行動したのは、何もわからず転職するのは
無謀だと思い体験でカメラマンの仕事をしたいと、
無理をお願いしてワークが休みの日にチャームストックフォトストアで
1カ月ほどお世話になりました。
もちろんワークの社長には了解を得てます。
月から金はワークで仕事。
土日で撮影に同行させてもらったり、
実際に結婚式の撮影も先輩カメラマンと入りました。
ロケ撮影でパールサンビーチに行ったり、
竜田山の森の中で撮影したりワクワクが止まらなかったのを思い出します。
しかも、転職する前にお金を貯めようと思い、
うしおにもお願いし、20時頃~25時くらいまでバイトをさせてもらいました。
そんな無茶な生活を1か月くらいしたころにチャームストックの社長と面談をすることになりました。
A4用紙を渡され、経験しどう感じたのか、本当にカメラマンになりたいのか
という内容で作文を書くように言われ、その後面談。
私は結婚式にも入れさせてもらい、ファインダーを覗くとそこには笑顔ばかり。
海ロケでも新婚さんの笑顔。そのイメージがすごくあり、社長にも強く思いをぶつけました。
すると社長から帰ってきた言葉が今でも忘れられません。
『結婚式でも、笑顔ばかりじゃない』
『好きだからこそやらないがいいのではなか』
私は無知で社長の言っている意味がよく理解できませんでした。
当時の私は22歳か23歳。
社会もワークしか知りません。
大きな挫折も経験したことがありません。
そんな私に社長は続けてこう言われました。
『好きと仕事は違う』
『仕事にしてしまうと好きじゃなくなるかもしれない』
これを言われ私は何か言葉を返したような気がしますが、
よく覚えていません。
10年前の話だからではなく、すごい衝撃を受けたからです。
思ってもいませんでした。
好きなことを仕事にしたいと思って、カメラマンを目指したのに
仕事にしてしまうと好きでなくなるなんて。
それからしばらくしてチャームストックでお世話になることを辞めました。
その後うしおにもいかなくなり、ワークでの仕事もよく分からなくなっていました。
自分は何がしたいのか。
ワークで仕事をさせてもらっているけども、これが俺がやりたいことなのか。
違う。
じゃあ何をしたいのか。
カメラマン?
でも嫌いになるのか?
そんなときにあったのが現在の妻との出会いです。
1年ほど付き合った時に将来のことを考え始めました。
通えない距離ではないけど、ちょっとお互いの職場が遠い。
もしどちらかが仕事を変えるとしたら私が転職した方がいいのでは?
そして二人で話し合いこの際、やりたいことを仕事にし
結婚後住む熊本市内に引っ越そうと決断します。
それからはとんとん拍子に就職先も退職日も決まります。
ワークの仕事が嫌いだったわけではありません。
ただカメラマンになりたかったんです。
就職したのは熊本でも老舗の堤写真館。
4月2日入社で、結婚式、753、プロフィール撮影、
証明写真、どこかの会社のパーティーなどなどいろいろ
撮影させてもらいました。
そして写真修整の基礎を教えてもらったり、
アルバムの作り方、SNSでの宣伝、TV出演、自社イベント
など製造業では経験できないことを山ほどさせてもらいました。
そしてむかえた2016年4月14日
熊本地震前震
写真館も被災。
自社運営の森の教会が一番ダメージ大きく一部社員が
休業することに。
森の教会の被害を写真に残すためカメラ一式を持って教会へ。
罹災証明に使うための写真だったようです。
その時に思ったのが
『人の笑顔を撮りたくてカメラマンなったのに』
被災したありのままを撮影しました。
こういう写真も大事だとは思います。
熊本地震が起きたことは事実。
建物が崩れたり、地割れが起きたりしたのも事実。
それを残す写真も大切。
ですが、私はファインダーをのぞいた時に泣きそうになったのを今でも覚えています。
写真を撮っててこんなに楽しくないことは初めてでした。
いつも写真を撮ってると時間を忘れて撮ってしまう自分が居ますが、
当時の私はそうではありませんでした。
休業してる先輩がいるのに、
私は本店で撮影カメラマンとして残っていました。
そんな中私は本店での撮影を続けていけませんでした。
大変な時期を乗り切ることが出来ず、投げ出してしまったのです。
熊本地震から約1か月後の5月15日堤写真館退社。
カメラマンを辞めました。
長々とお付き合いありがとうございました。
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